足立の昔がたり
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あるとき、赤ちゃんにあげるお乳ちちが出なくて困こまっていたお母さんが、この寺から観音さまにお供そなえしたお米をいただいてお祈いのりすると、不ふしぎ思議なことに、お乳が出るようになった。そこで人びとは、この観音さまを「子育て観音」と呼んで、それまで以いじょう上に、大切に敬うやまうようになったのだ。 また、実相院には、こんな話も伝つたわっている。九百年以上昔、源みなもとの頼よりよし義と義よしいえ家の父子が、奥おうしゅう州へ※戦いくさに向かう途とちゅう中、伊いこうむら興村を通り、戦に勝つように観音さまにお願ねがいをした。その後、おなかのすいた義家は、今のお寺から七、八十メートルほど南にあった山門の近くで食事をすることにした。ところが、食べるための箸はしがなかったので、義家は近くの木の枝えだを折おって、箸のかわりにした。そして食事をすますと、その箸を山門のそばの地面につきさして、奥州へと向かった。それから数年後、めでたく戦に勝った義家は、観音さまにお礼をするために、再ふたたびお寺にやってきた。102

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