足立の昔がたり
108/152

この観音さまは、昭しょうわ和四十六年(一九七一)に、東とうきょうと京都指してい定文ぶんか化財ざいに※されているよ。また、義家がお箸に使った木は、榎ではなくて欅けやきだという説せつもあるそうだ。※文化財→法ほうりつ律などで指定された、価かち値の高い美びじゅつひん術品などのこと。しかし残ざんねん念なことに、この「おおいぬき」は今から五十年近く前に、道路を広くするための工事で切りたおされてしまった。この木の幹みきのまわりは、七、八人の子どもが手をつないだくらいあったそうだ。どんなにか、みごとな榎だったことだろう。※奥州→今の山やまがた形県けんと秋あきた田県の一部をのぞく東とうほくちほう北地方のこと。104

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です