足立の昔がたり
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8昔の土地の分け方では、現げんざい在の埼玉県鴻こうのすし巣市から足立区までの南北に細長い地域を「武むさしのくに蔵国足あだちぐん立郡」としていて、『和わみょうるいじゅしょう名類従抄』という古い本には、「阿あだち太知」と記されている。足立区という区名になったのは昭和七年(一九三二)十月一日からだよ。また足立区は、北西部が高く、東南部に向かって、しだいに低ひくくなる地形をしていることを知っているかな?もっとも高いのは舎人付ふきん近で標ひょうこう高五メートル近くあって、荒あらかわ川近くになると四メートル近く下がって、標高一メートル前後とかなり低いんだ。それに足立区には、入いりや谷・古こぢや千谷・大おおやた谷田などと、谷という言葉のつく地名や、沼ぬまた田・皿さらぬま沼と、沼という言葉のつく地名が多くある。それらのことを考え合わせると、足立区一いったい帯は昔、土地の低い湿しっちたい地帯だったと考えられるね。だから池や沼が多く、あたり一面に葦あしという草が生い茂しげっていたともいわれているんだ。そこから「葦が立つ地」つまり「葦立ち」・「あしだち」・「あだち」に変へんか化したんだろうという説せつがあるよ。

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