足立の昔がたり
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137五丁田耕地というのは、今の大おおやた谷田三丁目あたりのことだ。西光院は昔、境けいだい内に桜さくらがいっぱい植えられていたので、桜寺とも呼ばれていたそうだ。て、近くの川へ持っていった。そこで木についた泥どろを洗あらい流してみると―なんと、夢に見た観音さまにそっくりだ。おどろいた作男は、それを家に持って帰り、今まであったことを五左衛門に話した。それを聞いた五左衛門も、あまりの不思議さにおどろいて、木の観音さまを西さいこういん光院に安あんち置して、盛せいだい大な供くよう養をした。それ以いらい来、西光院の宝たからもの物として置かれ、「田んぼの中より出てきた、光りかがやく観音さま」ということで、田光り観音と呼よばれるようになったのだ。 ※作男↓農作業をする人のこと。

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