足立の昔がたり
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48この持仏堂が現げんざい在、寺てらじ地小学校のすぐ近く、扇おうぎ一丁目にある瑞ずいおうじ応寺のもとになったとされている。瑞応寺は昔、寺の敷しきち地が広く大きな伽がらん藍も※あったといわれ、お寺のご本ほんぞん尊と※なった夕顔観音は、のちのちまで村人たちの信しんこう仰を集めた。瑞応寺は戦せんさい災によって建たてもの物や宝ほうもつ物などが焼やかれてしまい、現在の本ほんどう堂は昭和四十七年(一九七二)に再さいけん建された鉄てっきん筋コンクリート造づくりのものだよ。夕顔観音も本堂の再建と同時に新しいものが作られ、安置された。さらに夕顔姫供養のために作られた板いたび碑(石で作った塔とうば婆)※二にまい枚が開山妙円尼の供養碑として、新本堂完かんせい成時に本堂の左右に一枚ずつ嵌はめこまれている。※塔婆↓墓に立てる細長い板。※伽藍↓お坊ぼうさんたちが住んで仏ほとけの道を修行したところ。※本尊↓その寺で、一番大切な仏さまのこと。

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