足立の昔がたり
59/152

これとよく似にた話が、井いはら原西さいかく鶴という江えど戸時代の人が書いた『懐ふところ硯すずり』という本の四巻かんに、「人真まね似は猿の行水」という題で出ているよ。猿仏塚は島しまね根小学校の西にしがわ側、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿を刻きざんだ庚こうしん申供くようとう養塔と念ねんぶつこう仏講の碑ひがならんでたっている場所にあるよ。その哀あわれな心を察さっした家の人たちや村人たちは、サルを手厚あつくほうむってやった。そして一本の榎えのきを植え、そこを猿さるぼとけ仏塚づかと呼よぶようになったということだ。猿仏塚にほうむられたサルは、その後、子どもの守り仏として、村人たちから厚く信しんこう仰されるようになった。なんでも願ねがいごとをするときは泥どろの団だんご子を供そなえ、その願いごとがかなえられると、米の団子を供えるのだという。55

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です