足立の昔がたり
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たことがわかった。このことを知った家光は、忠ちゅうこく告してくれた上人に報むくいるために、それまでの「長久山妙みょうかくじ覚寺」という寺の名を「天下長久山国土安穏寺」と改あらためさせ、徳川家の三葉葵を寺じもん紋とすることを許ゆるしたということだ。またこんな話もある。国土安穏寺のある足立の一いったい帯は、自しぜん然が豊ゆたかだったので将軍家のお鷹たかば場になっていて、代だいの将軍が鷹狩がりにやって来た。鷹狩りでは、鷹匠じょうや警けいご護の者や、つき従したがう者も多く、事前の知らせがあったので、十分な準じゅんび備をして一行を迎むかえることができた。けれど、知らせなしに将軍が来ることもあった。あるとき、家光は島しまね根方面を巡めぐった折おり、疲つかれも覚おぼえて、国土安穏寺に立ちよることにした。山門を入ると、「なにかうまいものはないか。腹はらがすいてしまった」と声をかける。57

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