足立の昔がたり
63/152

その熱ねっしん心さにこたえて、師の日にちゆう祐上人は自ら祖師像ぞうを彫ちょうこく刻して与あたえた。やがて日通上人の祖父は、息子に祖師像をゆずった。これが日通上人の父にあたる。ある日、日通上人の父は、「もし男の子が生まれたなら、必かならず出家させますので、どうぞ願ねがいをかなえてください」と、祖師像にお願いをした。するとその夜、奥おくさんは、自分のおなかに蓮はすの花が入る夢ゆめを見た。そして、その後に男の子が生まれた。この男の子は七歳さいで父の希きぼう望どおり出家し、日祐上人の弟子となって、日通と名乗った。日祐上人のもとで十数年修しゅぎょう業を重ねた日通上人は、日祐上人が亡くなると、足立の島根村に移うつって国土安穏寺を開き、祖父、父と伝えられて来た祖師像を安あんち置した。さて、時が流れて、江戸時代になってからのことだ。59

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です