足立の昔がたり
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ありがたいお祖師さまを拝おがみたい、と江戸の人が思っても、足立の島根まで出かけるのはたいへんだった。そこで国土安穏寺では、何度も祖師像を江戸まで運んで、たくさんの人がお参りできるように「出で開かいちょう帳」を行ったという。それだけ大人気だった……ということだね。ある日、二代将軍秀ひで忠ただ(家光の父)がこのあたりに鷹狩りに来たときのこと、ふと耳をすますと何か声が聞こえてきた。よくよく聞いてみると、それは国土安穏寺から聞こえてくるお経の声だった。秀忠に声の主をたずねられた住職が本堂に行ってみたが、人のいる気配はない。それなのに、どこからかお経が聞こえてくる。目をこらしてよく見てみたところ、なんと仏ぶつだん壇に安置されている祖師像がお経を唱えているのがわかった。このことをきっかけに、代だいの将軍が国土安穏寺に立ちよるようになった。やがて祖師像は「誦経の祖師」といわれるようになり、その話が広がって、江戸の町まちじゅう中でも評ひょうばん判になった。その祖師像は、今も国土安穏寺にある。60

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