足立の昔がたり
65/152

1761炎えんてんじ天寺と小こばやし林一いっさ茶 九百年以上昔の、平安時代のこと。奥州で※力をほこっていた安あべ倍一族が反はんらん乱をおこし、これをしずめるため、源みなもとの頼よりよし義、義よしいえ家の父子が、軍ぐんをひきいて討とうばつ伐に向かうことになった。そのころ奥州への道は、現げんざい在の千せんじゅ住から梅うめだ田・島しまね根・六ろくがつ月・竹たけの塚つかへと、人家や田畑が少なく、草や木が生い茂しげったところも多い中を通っていくものだった。義家たちがこの道を進んでいると、とつぜん、安倍氏しに味方する野のぶし伏の※一いちだん団がおそいかかってきた。暑い日ざしの中を、遠い都から旅をしてきた義家の兵へいは疲つかれており、苦しい戦たたかいになった。義家は、「敗まけてなるものか」と勇ゆうき気を奮ふるいおこし、照てりつける太陽を後ろにして陣じんち地を立てなおし、源げんじ氏の守り神である石いわしみず清水八はちまん幡に、「どうぞ勝たせたまえ」と祈いのった。��【炎天寺】六月三丁目13-20

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です