足立の昔がたり
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68この粘土が「荒あらきだつち木田土」と呼よばれる、粘ねばりの強い細かい粒りゅうし子の土で、瓦の原料に適した土なのだ。また中川べりは、農家が数すうけん軒あるほかは、一面の田畑だったので、煙の心配もなかった。この瓦作りには好こうじょうけん条件の場所に、明めいじ治時代、浅草の瓦職しょくにん人が移って来て瓦を焼きはじめたのだ。大正十五年(一九二六)ころ、南みなみあだちぐん足立郡(今の足立区)の瓦製せいぞう造業者は十五軒あり、大谷田に十、長ちょう右衛えもん門新しんでん田(今の中川)に二と、中川べりが大半をしめている。けれど一九六〇年代になると、田畑が住じゅうたく宅地ちに変かわり、土の入手もむずかしくなったうえに、煙も問題になってきた。また、昔ながらの製せいほう法による瓦が、工場生せいさん産による量りょうさん産瓦に押おされたことで業者は激げきげん減し、昔の盛せいきょう況は見られなくなってしまった。

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