足立の昔がたり
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69続つづいて、 の話。明めいじ治維いしん新で江戸は東京に変わったけれど、名物の火事はなくなりはしなかった。そこで東京府ふ知ちじ事は、火に強い西洋式の家を建たて、街まちを変えようと考えた。イギリス人建けんちく築家かトーマス・ウォートルスを主しゅにん任技ぎし師にして、まず、新橋から京橋の間を改かいぞう造する計画をたてたのだ。そのとき、建築材ざいとしてあがったのが だ。街の家いえを 造りにするには大量の が必ひつよう要だけれど、当時の日本に はなかった。外国から輸ゆにゅう入するには、たくさんのお金がかかる。残のこった方ほうほう法は、 を製造することだけれど、西洋風 を焼いたことがある者がいなかった。そこで、ウォートルスは、自ら を焼くことにした。その 製造所が設せっち置されたのが、現在、東京拘こうちしょ置所がある小こすげ菅だった。 製造所では多くの日本人が外国人技師から の製法を学んだが、その中に、宮みやぎ城村むらゆかりの者がおり、自分で を作ってみようと思い立った。

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