足立の昔がたり
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荒あらかわ川堤づつみの五ごしき色桜ざくら昭和のはじめころまで、江こうほく北の一いったい帯は「荒川堤※の五色桜」と呼よばれる桜の名所だった。もともと、そのあたりは土地が低ひくく、大雨が降ふるたびに洪こうずい水がおこった。水すいがい害を防ふせぐために、村の人たちは水よけの堤を造つくったが、昔の荒川堤は、あまり頑がんじょう丈ではなく、明めいじ治時代になっても大洪水がおこって、家の屋根まで水につかるようなありさまだった。あまりにひどい洪水だったので、東とうきょうふ京府知ちじ事が被ひがい害の様子を見にきた。そのとき、沼田(今の江北)の人が、荒川堤を頑丈なものにしてほしい……と、熱ねっしん心にお願ねがいした。その願いは聞き入れられ、堤は頑丈なものに造りかえられた。それまでの堤の上は、人が通れるだけの狭せまい道だったが、草や木を刈かりとって、川かわぐち口から千せんじゅ住のやっちゃ場(青物市場)まで、大八車が※通れるような道路になったのだ。そのおかげで、それまで天てんびん秤棒ぼうでかついで72��

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