足立の昔がたり
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運んでいた野やさい菜が、一度にたくさん運べるようになった。とてもよろこんだ人びとは、お金を出し合い、堤に珍めずらしい里桜を※植えた。この里桜は、珍しい桜を集めている植木屋から買ったもので、鹿しかはま浜から本もとき木まで七十八種しゅ三千二百本、主に八重桜が※植えられたそうだ。明治三十年(一八九七)代の中ごろには、この桜がみごとに育ち、やがて「五色桜」と名なづ付けられて日本の名所になった。道の左右に植えられた桜が、向かい合った枝えだ同どうし士でトンネルを造り、それがどこまでも続つづいていたという。もっとも五色桜といっても、一本の木に五色の花が咲さくわけではない。この木は紅べに色、こっちは白色、むこうは黄色……という具合に、五通りの色の桜が植えられていたということだ。明治四十五年(一九一二)、村の人たちの自じまん慢のこの桜は、親しんぜん善の※ためにアメリカに贈おくられ、ワシントン市のポトマック河かはん畔に植えられて、みごとな名所になった。 けれど、明治の終わりころになって、荒川放水路を造ることが決まった。大雨が降っても洪水がおきないように、別べつの川を造って、水を分けてしまおうというのだ。73

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