足立の昔がたり
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しようという講こうわ和条じょうやく約を結むすんで、その記きねん念にポトマック河畔の桜で、本家の「荒川堤の五色桜」を復ふっかつ活させる計画を立てた。その申し出をアメリカ政せいふ府も快こころよく受け入れ、やがて十一種五十五本の接つぎほ穂が贈られてきた。そのときは、アメリカに贈った桜の子どもが、里帰りしてきたと、人びとはとてもよろこんだそうだ。接穂はそのままでは植えられないので、都の水みずもと元公園の苗びょうほ圃で※接つぎき木してから、昭和二十九年(一九五四)に、荒川堤、本木四丁目から約やく三キロメートルにわたって、約四百本の孫まご苗なえが植えられた。けれど残ざんねん念なことに、自動車の排はいき気ガスや近くの工場から出される煤ばいえん煙の※ために、ほとんど枯かれてしまった。わずかに残った桜も、首都高速道路を造るときに切られてしまった。近所の人にもらわれていた何本かは生き残ったものの、けっきょく里帰り桜は、ふる里に桜並なみき木を造ることはできなかった。けれど足立区では、「五色桜」を復活させるために、昭和五十六年(一九八一)二月、ポトマック公園から桜の枝を採さいしゅ取して、三十三品ひんしゅ種、約三千本の「桜の里帰り」を再ふたたび実じつげん現した。75

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