足立の昔がたり
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行基は、東大寺の大だいぶつ仏を作るときに責せきにんしゃ任者だった人だ。日本各かくち地に仏教を広め、農業を教え、港や橋造づくりをしたので、尊そんけい敬されて行基菩ぼさつ薩と呼よばれているよ。昔は、かんの虫といわれる病気だけをみる医者が少なかったので、北きた区くの方からも、今はない「宮みや堀ぼりの渡わたし」や「野や新しんでん田の渡し」を使って病気を治してもらいに来ていたらしい。とくに荒あらかわ川の※五ごしき色桜ざくらの咲さくころは、花見がてらに診しんさつ察を受けに来る人が多く、特別に船を出したほどだといわれている。そして、虫切りの行われる小宮家の門前には、花見と病気をみてもらう子どものつきそいの親たちに、お茶を飲ませる店や、道に品物を広げて売る店がたくさん出て、とてもにぎやかだったそうだ。79※荒川↓今の隅すみだがわ田川。

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