足立の昔がたり
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足立の桜さくらそう草 春になると、紅べに、白、紫むらさき、黄、絞しぼりなどのかれんな花を咲さかせる桜草は、江えど戸時代のころ、千せんじゅ住の野原や新しんでん田の湿しめった地ちいき域に自しぜん然に生えていた。とくに人が植えたわけでもないのに、自然に咲くようになったのは、洪こうずい水によって秩ちちぶ父方面から運ばれた土どしゃ砂に、桜草の種たねがまざっていたからではないかといわれている。それらの種がみごとに咲いたのは、千住の野原や新田の土地が、桜草に適てきしていたということだ。こうして、自然に花開く桜草が人の目にとまって、千住の桜草、新田の桜草として知られるようになったのは、千住の野原が千住宿から近いところにあったこと、新田が西にしあら新井い大だいし師をお参りする通り道になっていたからにちがいない。そして、あたり一面しきつめたように咲き誇ほこっているこの花を見た人は、その美しさに魅みせられて、必かならずといってよいく80��

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