足立の昔がたり
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そんな言葉を子どものころから聞き続つづけていた喜右衛門は、「よし、大人になったら、川っ縁ぷちに店を出して親孝こうこう行をしよう」と心に決めた。喜右衛門は十二、三歳さいになると、新田名物の桜草を掘り出して鉢はちに植え、道みちばた端にならべて、飛あすか鳥山やまのお花見や、西新井大師へお参りに来る人たちに売りはじめた。桜草一鉢の売うりね値は安くても、その数が積つもり積もって儲けが多くなり、数年後には、かなりの お金が貯たまった。喜右衛門は、貯めたお金を持って、川っ縁に行き、江戸に材ざいもく木を運ぶ筏いかだの船頭さんにいった。「おじさん、その筏の材木を売っておくれよ」「子どもが材木を買ってどうするんだ」船頭さんが聞き返すと、喜右衛門はこうこたえた。「大きくなったら、この川っ縁に家を建たて、商売をして、お父さんに82

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