足立の昔がたり
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楽をさせたいんだ」それを聞いた船頭さんは、親孝行な子どもだと感心して、筏の材木を安く売ってくれたのだった。その後も小こづか遣いを貯め、材木を買い足していき、喜右衛門は四十二歳のときに念ねんがん願の家を川っ縁に建てた。最さいしょ初、家の屋根を赤あか金がね瓦がわら(銅どうばん板)と考えたけれど、町人であったため奉ぶぎょう行か※ら許きょか可が下りなかったので、やむを得えず、新田産さんの茅かやぶ葺きにした。二階建てで、一階も二階も八はちじょう畳が四よま間もあり、一階はお酒や豆腐を売るお店、二階は船頭さんが泊とまれるようになっていた。また、新田地区は洪水がたびたびあったので、屋やね根裏うらには、洪水のときの足となる三そうの船が納おさめられており、宿しゅくはくきゃく泊客の安全も考えていたという。83

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