足立の昔がたり
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そして新田が住みよい土地だとわかると、たくさんの人たちが集まってきて、やがて大きな村になっていったのだ。 人が住むようになった新田は、茅かやが生い茂しげり、その根もとに桜さくら草そうが咲さき乱みだれる、のどかで美しい村だった。けれど熊くまがや谷堤づつみという土手の外にあったので、土地も低ひくく、よく洪こうずい水がおこった。その洪水から家を守るために、水みづか塚(塚のように、土地を高くしたもの)を築きずいて、その上に家を建たてる人もいた。そうした家があちらこちらにある中、荒川ぞいに大おおくぼ久保という家があった。水塚の上にあった大久保家は水面よりもかなり高く、荒川を往ゆき来きする舟ふねや筏が手に取るように見え、川面を吹ふき渡わたる季きせつ節の風も、肌はだに感ずることができた。そんな大久保家の門の前に、かなり年数がたったと86

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