足立の昔がたり
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が、やがて川の真ん中あたりまで飛んでいったかと思うと、急にボチャンという音がして、それと同時に火の玉も見えなくなった。まるで水の中に飛び込こんだようだ。それきり火の玉は消えてしまったが、このできごとは、一人の人だけが目にしたのではなく、そこにいた家族全員と道行く人たちが、同じものを同じように見ている。だから、ウソとは思えない。 新田の開かいたく拓が※、いつのころからはじまったのかはっきりしないけど、埼玉県比企郡あたりに住んでいた茂もてぎ出木庄しょうざえもん左衛門・松まつした下三さぶろべえ郎兵衛という人が来て開拓したといわれている。江戸時代のなかばごろに行われた元げんろく※禄検けんち※地の記きろく録には、ちゃんと鹿しかはま浜新田の名が残っているよ。※開拓→山や野を切り開ひらいて、田んぼや畑を作ったり、人が住めるようにすること。※元禄→江戸時代の中ごろ。一六八八年~一七〇四年。※検地→戦せんごく国時代や江戸時代に年ねんぐ貢を決めるために、田んぼや畑の広さ、作物の取れる量りょうなどを調べること。88※荒川→今の隅すみだがわ田川。

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