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所蔵数 2 在庫数 1 予約数 0

書誌情報サマリ

タイトル

家の履歴書 文化人・芸術家篇

著者名 斎藤 明美/著
著者名ヨミ サイトウ アケミ
出版者 キネマ旬報社
出版年月 2011.7


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No. 所蔵館 資料番号 資料種別 請求記号 配架場所 帯出区分 状態 在架
1 佐野0311361372一般図書281//開架通常貸出在庫 
2 伊興1111344915一般図書916/サイ/開架通常貸出貸出中  ×

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2011
281.04 281.04
伝記-日本 住居

書誌詳細

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タイトルコード 1001110060190
書誌種別 図書(和書)
著者名 斎藤 明美/著
著者名ヨミ サイトウ アケミ
出版者 キネマ旬報社
出版年月 2011.7
ページ数 392p
大きさ 21cm
ISBN 4-87376-361-3
分類記号 281.04
タイトル 家の履歴書 文化人・芸術家篇
書名ヨミ イエ ノ リレキショ
内容紹介 『週刊文春』連載「家の履歴書」において、著者・斎藤明美が記者時代から現在までに取材・執筆した中から「文化人・芸術家」たち38名をセレクト。波乱に満ちた、それぞれの「家」と「わが人生」の物語。
著者紹介 1956年高知県生まれ。津田塾大学卒業。高校教師、テレビ構成作家を経て『週刊文春』の記者を20年務める。小説「青々と」で日本海文学大賞奨励賞受賞。著書に「最後の日本人」など。
件名1 伝記-日本
件名2 住居

(他の紹介)内容紹介 『週刊文春』の人気連載「家の履歴書」において、著者・斎藤明美が記者時代から現在までに取材・執筆した中から「文化人・芸術家」たち38名をセレクト。波乱に満ちた人生の節々に、それぞれの「家」はあった。
(他の紹介)目次 安野光雅―客が残した生菓子を親に内緒で食べるのが“宿屋の倅”の役得だった
西原理恵子―近所をペンギンが徘徊してた高知市浦戸の家が私の原風景
松本零士―隣家三軒の自然崩壊を見て以来、“屋根落下恐怖症”に怯えた少年時代
サトウサンペイ―“蟹は甲羅に似せて穴を掘る”じゃないけど、僕はちっちゃな家ばっかりに住んできた
山藤章二―“反骨絵師”の原点は、父を失い母姉兄と苦境を生き抜いた下目黒の借家
藤城清治―大学時代、人形劇の稽古のために和室の柱を取り払い父親との関係が最悪化
笑福亭鶴瓶―お笑いの人は密集した環境の中からしか生まれんのと違いますか
桂歌丸―生まれ育った横浜・真金町の廓「富士楼」が落語に役立っている
萩本欽一―貧困で家族解散。家のない僕に豆腐屋さんが「二階の三畳へおいで」
太田光―仕事が激減、妻と相方・田中はコンビニでバイト。どん底だった笹塚の家〔ほか〕
(他の紹介)著者紹介 斎藤 明美
 1956年、高知県生まれ。津田塾大学卒業。高校教師、テレビ構成作家を経て、『週刊文春』の記者を20年務める。1999年、初の小説「青々と」で第10回日本海文学大賞奨励賞受賞。2006年、フリーとなり、作家活動を行う。2009年、脚本家・映画監督の松山善三と女優・故高峰秀子の養女となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


内容細目

1 安野光雅   客が残した生菓子を親に内緒で食べるのが“宿屋の倅”の役得だった   7-16
安野 光雅/述
2 西原理恵子   近所をペンギンが徘徊してた高知市浦戸の家が私の原風景   17-25
西原 理恵子/述
3 松本零士   隣家三軒の自然崩壊を見て以来、“屋根落下恐怖症”に怯えた少年時代   27-36
松本 零士/述
4 サトウサンペイ   “蟹は甲羅に似せて穴を掘る”じゃないけど、僕はちっちゃな家ばっかりに住んできた   37-46
サトウ サンペイ/述
5 山藤章二   “反骨絵師”の原点は、父を失い母姉兄と苦境を生き抜いた下目黒の借家   47-56
山藤 章二/述
6 藤城清治   大学時代、人形劇の稽古のために和室の柱を取り払い父親との関係が最悪化   57-66
藤城 清治/述
7 笑福亭鶴瓶   お笑いの人は密集した環境の中からしか生まれんのと違いますか   67-75
笑福亭 鶴瓶/述
8 桂歌丸   生まれ育った横浜・真金町の廓「富士楼」が落語に役立っている   77-86
桂 歌丸/述
9 萩本欽一   貧困で家族解散。家のない僕に豆腐屋さんが「二階の三畳へおいで」   87-97
萩本 欽一/述
10 太田光   仕事が激減、妻と相方・田中はコンビニでバイト。どん底だった笹塚の家   99-108
太田 光/述
11 島田紳助   先は“島田興産”(笑)の家賃収入で暮らしながら淡路島で釣り三昧や   109-118
島田 紳助/述
12 山田洋次   満州・大連の八畳の居宅に残してきた落語全集が僕の“喜劇”の原点だった   119-128
山田 洋次/述
13 新藤兼人   十五で広島の生家が解体、一家離散。その体験が僕の映画の根底にある   129-138
新藤 兼人/述
14 松山善三   結婚する時、高峰秀子は英国風洋館、僕は農家の納屋の二階に住んでいた   139-148
松山 善三/述
15 倉本聰   冬は零下三十四度。初めての富良野の家では、朝、布団に霜が降りた   149-158
倉本 聰/述
16 山田太一   母と兄の死、父と継母の諍い…辛いことばかりだった湯河原の家   159-168
山田 太一/述
17 佐藤忠男   冠婚葬祭の全てをその中で行った、古き良き新潟の生家   169-178
佐藤 忠男/述
18 澤地久枝   少女時代を過ごした満鉄社宅には子供の目にも如実なランク付が   179-187
澤地 久枝/述
19 戸川昌子   同潤会大塚アパートで見た女達の栄枯盛衰が『大いなる幻影』を生む   189-198
戸川 昌子/述
20 安岡章太郎   僕はカリエス、父は無職、母は心を病み…悲惨を極めた戦後の鵠沼生活   199-208
安岡 章太郎/述
21 宮尾登美子   高知の実家が芸妓娼妓紹介業をしていたことは秘して墓まで持っていきたかったが…   209-220
宮尾 登美子/述
22 出久根達郎   茨城の山村で過ごした少年期。水道も電気もない家だったが、子供にとっては天国だった   221-230
出久根 達郎/述
23 美輪明宏   人は外でも“家”をひきずっている   231-239
美輪 明宏/述
24 舟木一夫   遊び人の父が九人目の母に産ませた弟が長屋暮らしの僕の支えだった   241-250
舟木 一夫/述
25 山根基世   三十五歳で買った“家”に満足しながらも孤独感に涙がボロボロ   251-258
山根 基世/述
26 広瀬久美子   結婚するまで住んでいた敷地五百坪の市川の実家は“広い怖い寒い”   259-268
広瀬 久美子/述
27 永六輔   年中旅をして“家”にいないから僕の財産である“人”に出逢えた   269-277
永 六輔/述
28 フジコ・ヘミング   風で障子が鳴り瓦に雨の音がする小学校時代の渋谷の家が一番好き   279-288
フジコ・ヘミング/述
29 野上照代   伊丹万作の遺児・十三の世話係として京都に移ったことが人生の転機   289-298
野上 照代/述
30 平野レミ   十六歳まで暮らした三百坪の千葉の家は果物や草花が実る楽園だった   299-308
平野 レミ/述
31 ピーコ   癌で左目を摘出してから、家はおろか一切の物欲がなくなった   309-318
ピーコ/述
32 千玄室   五百年近く続く“家”を継いで、生まれてからずっと京都の同じ家に。現在、リニューアルを考慮中   319-328
千 玄室/述
33 藤原正彦   母のベストセラーで吉祥寺に百五十坪の土地購入、父の直木賞で百五十坪買い足した   329-338
藤原 正彦/述
34 金田一秀穂   三年間、本郷のマンションでニート生活を送った後、“国語は金田一”三代目の道へ   339-348
金田一 秀穂/述
35 加藤和也   青葉台の家をもう一度改築して、お袋・美空ひばりと暮らした頃の家に戻したい   349-358
加藤 和也/述
36 冨田勲   あらゆる仕事を断り、一年四ケ月、シンセサイザーと格闘した六本木の家   359-368
冨田 勲/述
37 張本勲   十八で母に家をプレゼント。契約金で建てた二階家は「御殿に見えましたよ」   369-378
張本 勲/述
38 内館牧子   初めて大田区洗足池にマンションを買った時は、“十両”になった気分だった   379-388
内館 牧子/述

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