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書誌情報サマリ

タイトル

奇才・勝田重太朗の生涯 近代日本のメディアを駆け抜けた男

著者名 千野 境子/著
著者名ヨミ チノ ケイコ
出版者 論創社
出版年月 2025.7


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No. 所蔵館 資料番号 資料種別 請求記号 配架場所 帯出区分 状態 在架
1 中央1218326104一般図書289.1/カ/開架通常貸出在庫 

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2025
289.1 289.1

書誌詳細

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タイトルコード 1001111761379
書誌種別 図書(和書)
著者名 千野 境子/著
著者名ヨミ チノ ケイコ
出版者 論創社
出版年月 2025.7
ページ数 287p
大きさ 20cm
ISBN 4-8460-2501-4
分類記号 289.1
タイトル 奇才・勝田重太朗の生涯 近代日本のメディアを駆け抜けた男
書名ヨミ キサイ カツダ ジュウタロウ ノ ショウガイ
副書名 近代日本のメディアを駆け抜けた男
副書名ヨミ キンダイ ニホン ノ メディア オ カケヌケタ オトコ
内容紹介 新聞・ラジオ・テレビから、広告・出版・映画製作まで、大正・昭和のメディア界を渡り歩き、歴史の表舞台から去っていった勝田重太朗。徳富蘇峰に「現代新聞界ノ奇才ナリ」と言わしめた、知られざる先人の仕事と生涯を追う。
著者紹介 横浜市出身。早稲田大学第一文学部ロシア文学専修卒業。産経新聞客員論説委員。フリーランスジャーナリスト。ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書に「江戸のジャーナリスト葛飾北斎」など。

(他の紹介)内容紹介 メディア興亡の体現者。新聞・ラジオ・テレビ・広告・出版・映画製作まで、大正・昭和のメディア界を渡り歩き、歴史の表舞台から去っていった勝田重太朗とは何者か。「現代新聞界ノ奇才ナリ」と徳富蘇峰に言わしめた、知られざる先人の仕事と生涯。
(他の紹介)目次 第一章 始まりは朝鮮『京城日報』受付係
第二章 帰国後、いきなり『新愛知』東京支局長に
第三章 関東大震災で焼け落ちる帝都の新聞各社
第四章 徳富蘇峰の『國民新聞』を買収、初めての社長業
第五章 化粧品や出版と企業の助っ人にも引っ張りだこ
第六章 戦後の夕刊紙ブームに『名古屋タイムズ』を創刊
第七章 『信濃毎日新聞』副社長から信越放送を創業
第八章 福澤諭吉の『時事新報』再建に白羽の矢が立つ
第九章 産経新聞東京本社社長として
第十章 帰りなんいざ、信越放送社長に復帰し軌道に乗せる
(他の紹介)著者紹介 千野 境子
 横浜市出身。早稲田大学第一文学部ロシア文学専修卒業。1967年、産経新聞東京本社編集局に入社し、夕刊フジ報道部、本紙外信部などを経て1987年〜88年にマニラ特派員、1990年7月〜93年2月までニューヨーク支局長。帰国後は95年7月まで全国紙初の女性外信部長を務め、96年2月〜98年7月までシンガポール支局長兼論説委員。その後は論説委員専任を経て2005年4月〜08年6月まで全国紙初の女性論説委員長兼特別記者。この間、取締役(正論・論説担当)も務めた。またインドネシアを中心とする東南アジア報道により、1997年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞した。現在の肩書は客員論説委員、フリーランスジャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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