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書誌情報サマリ

タイトル

なぜ書には、人の内面が表われるのか 祥伝社新書 285

著者名 松宮 貴之/[著]
著者名ヨミ マツミヤ タカユキ
出版者 祥伝社
出版年月 2012.8


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No. 所蔵館 資料番号 資料種別 請求記号 配架場所 帯出区分 状態 在架
1 伊興1111374334一般図書728//開架通常貸出在庫 

関連資料

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2012
728 728
書道

書誌詳細

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タイトルコード 1001110171272
書誌種別 図書(和書)
著者名 松宮 貴之/[著]
著者名ヨミ マツミヤ タカユキ
出版者 祥伝社
出版年月 2012.8
ページ数 204p
大きさ 18cm
ISBN 4-396-11285-1
分類記号 728
タイトル なぜ書には、人の内面が表われるのか 祥伝社新書 285
書名ヨミ ナゼ ショ ニワ ヒト ノ ナイメン ガ アラワレル ノカ
内容紹介 書は、たんなるアートではない。すぐれた書は、その一字一句から、作者の人柄・品格が感じられるものである。書家である著者が、日本人が忘れてしまった書の世界の奥深さ、肉筆の持つ魅力と効用を掘り起こす。
著者紹介 1971年滋賀県生まれ。書家。佛教大学文学部兼任講師(書論・書道実技・美術史担当)、国際日本文化研究センター共同研究員、読楊会会員。著書に「書論の文化史」がある。
件名1 書道

(他の紹介)内容紹介 外形だけを風変りに表わしたものも、書ではない。アート書道のブームは、「書の否定」なのではないか。書とは、造形芸術ではなく、教養なのだ。すぐれた書は、その一字一句から、作者の人柄・品格が感じられる。書家である著者は、それが歴史に対する深い認識によって裏づけられたものと主張する。
(他の紹介)目次 第1章 肉筆で書くということ(消えゆく肉筆
肉筆は文化である ほか)
第2章 「型」と個性(自分らしく書くことは個性なのか
「創作」の正体 ほか)
第3章 すぐれた書は、何がすぐれているのか(思索の蓄積―書論
書に表わされた「人と為り」 ほか)
第4章 身体作法としての書道(身体で覚える
全身を使って書く ほか)
第5章 「書を交わす」という文化(揮毫をする政治家たち
東洋的教養―広田弘毅と張作霖の場合 ほか)
(他の紹介)著者紹介 松宮 貴之
 1971年、滋賀県生まれ。書家。書論、日中文化交流史を専門とし、現在、佛教大学文学部兼任講師(書論・書道実技・美術史担当)。国際日本文化研究センター共同研究員。読楊会会員。京都寺町「ギャラリー知」専属アーティスト。中国人書法家、朱剛氏とともに『當代書法二人展』を国際的に開催する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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